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自分の電子ピアノから発せられる音で飾る

 私は、中学1年から現在まで変わらず、ネガティブな気持ちのとき、自分の部屋の電子ピアノで決まった曲(リスト『愛の夢 第3番』) を弾く習慣がある。 きっかけは些細なことで、当時ピアノを習っており、次の発表会で演奏する曲が『愛の夢』だったからだ。とてもネガティブな気持ちになっていた時に無我夢中で練習に取り組んだら、その後妙にすっきりした気分になったことか

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ら、その後もどうしようもない鬱憤を感じているときに『愛の夢』を弾くようになった。

 最初はただ練習に熱中していたので、単純に怒りや鬱憤を忘れてしまっただけだったのかもしれない。しかし譜面を覚えて楽譜を見ずにすらすらと弾けるようになってからも、この行動は続き、満足すまで弾き終えた後にすっきりすることは変わらなかった。この動作を続けるうちに、「これは自分の中で感情を整理する時間なんだ」と自覚するようになった。自覚後は、主に二つのこと(最近は三つのこと)を意識して『愛の夢』を弾いていた。一つ目は、なぜ自分がそのような気持ちになっているのかを可能な限り考えて原因を理解すること。もちろんそれが全く分からないときや、わかったところでどうしようもない時もある。そんな時は考えることをやめ、この曲の世界観に浸る。もともと壮大な曲だし、そのスケールの大きさを感じながらなんとなく優雅に弾くときや、細かい部分を考えながら弾くときもある。そして最近は、過去にネガティブな気持ちになりピアノに向かっていた自分と比べて今の自分がどうかを考えるようにしている。これが三つ目だ。比べてみて「自分ってこう変わったな」「あの時こうしたけど今だったらこうできるなー」と思うこともある。そんな余裕が全くない時もあるが。
 今振り返ってみると、狭い自分の部屋で引きなれているピアノを使って決まった曲を弾くという一つ固定化された動作を行う中で、自己省察が行われていたように感じる。自分を振り返って感情を整理したり、自分はこういったことがあるとネガティブな気持ちになるんだとその都度納得して自分を理解していた。だからこそ弾き終わった後にすっきりとした気分になったのだろうし、充足感というものも感じたのだろう。過去と比べるようになってからは、ただ一次的陶冶経験だけではなく、その時点で二次的陶冶経験もしていたのかもしれない。

 私と同じように決まったルーティーンがある人は、何故そのルーティーンを行なっているのか、それをした前と後では自分はどう変わっているのか、何故変化しているのかを考えてみることをお勧めする。そこには今の自分を形づくっている大事な要素があるかもしれない。

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