top of page

こけし

 玄関先の靴入れの上にはいつもこけしが飾ってあった。母方の祖父と祖母が昔福島の旅行先から母にお土産として買って帰ってきたものだ。普段、母は地震が怖いからと棚には一切物を置かないようにしているのだが、そのこけしだけはわざわざ裏側に粘着テープを貼り付けて、毎日粘着テープを剥がしてまで周りをきれいに拭いている。
 小さい頃の私は母にこけしを飾ってほしくなかった。単純に、怖かったからである。こけしといえば、お化け屋敷。懐中電灯をつけると暗闇の中から血だらけのこけしが...わっ! しかも祖父と祖母は私が小さい頃に既に亡くなっていた。おじいちゃんとおばあちゃんの幽霊が出てくるのではと考えると、夜も眠れなくなった。それにいちいちテープ剥がして掃除するの、面倒くさいし。  
 学校に行くようになってから、私は世の中の現象には必ず背後に何かの「しくみ」があることを学んだ。地震が起きるのは神が怒っているからではない。地面の中のプレートとプレートがぶつかり合うからだ。鍋

IMG_3441.JPG

のお湯が沸騰するのは水の妖精たちが鍋の中で小躍りしているからではない。水素と酸素で結びついてできている水が温度の上昇により、この繋がりが切れて液体だった水が空気のような水蒸気に変化するからだ。学校で学んだ知識はまるで「サンタさんって人間なんだよ、知らなかったの?」と言うように、私の想像力をことごとく否定していった。そして、幽霊なんてそんな非現実的なことある訳ないからと、私はこけしに対してそれほど恐怖を感じなくなった。
 しかし今、家を引っ越して玄関にこけしを置く棚がなくなったことから、こけしが食卓近くの棚に飾られるようになり、毎朝一番にこけしと顔を合わせるようになった。すると、 何だかおじいちゃんとおばあちゃんが「おはよう」と声を掛けてきているようで、思わず「おはよう」と返事をしてしまう。学校で色々なことを習ったがしかし、私はなおもいないはずの亡霊に想いを馳せる。おじいちゃんとおばあちゃんって、どんな人だったんだろう。 あの世で元気にしてるかな。見守ってくれてるのかな。そう思った時、私はこけしが怖くなくなった。それは決して幽霊なんて非現実的なものがいないからという理由ではない。むしろ、今の私は祖父と祖母の魂がこけしに宿っていることを信じている。こけしと一緒にご飯を食べるのは、おじいちゃんとおばあちゃんが zoom でバーチャル参加して一緒にご飯を食べるよりも、もっとリアルに彼らをそばに感じる。おじいちゃんとおばあちゃんにそこにいてほしい、いや、そこにいると信じる気持ちが、こけしの飾ってある空間を怖いものから暖かいものにした。
 人間の信じる力って、不思議だ。信じる/信じないでモノがあったり、なかったりする。 陶冶をするに従い、信じるモノが変わることによって、モノに対する見方も変わるのではないだろうか。そしてそのモノに対する見方や考え方の変化は、その人が何を信じ、何を大切にしていきたいかの現れではないだろうか。そんなことを考えながら、今後も色々なモノを見ていきたいと思う。

bottom of page