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​髪飾り

 私は公立の中学校、高校に通っていた。どちらも制服は信じられないほど地味で、まるで喪服を毎日着ているようだった。特に高校の制服は伊勢丹の店員さんの制服に似ていて、伊勢丹に行くとお客さんに話しかけられてしまうほどだ。中学と高校で唯一変わったことといえば、校則が緩くなり、「髪飾りが自由になったこと」くらいであった。

 

 当時の私は髪が長く、いつでもポニーテールをしていたように思う。高校入学のタイミングで、母がそんな私にいくつか髪飾りをくれた。それはゴムにバンダナがついているようなものだった。実際に髪につけると、髪の毛と同じようにひらひらとして可愛いものだった。 母は髪飾りを渡してくれた時、「これ持ってる子少ないと思うし、可愛いし、きっと目立つよ~。」と言っていた。正直当時の私は、この一風変わった髪飾りに「これおかしくないのかな?」と思ってしまっていたのだが、

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「持っている子が少ない」という言葉に惹かれて着けていくことにした。実際に毎日着けていると、「その髪飾り可愛いね!」と褒められることが多くなった。そして2年生に上がる頃には、その髪飾りは私のトレードマークとなっていた。後ろ姿だけで私と認識されるようになった。初めて同じクラスになる子にも「ポニーテールのあの髪飾りの子」と既に認知されていたのである。
 

 今思い返すと、中学・高校の私は「人と違うこと」に執着していた。自分だけが違うモノを持っていること、自分だけが違う選択を取ること、こんなようなことがかっこいいと思っていた。つまり人と違うことで、かっこよくて少し大人びた姿になれると思っていたのである。実際に髪飾りは高校時代の私を唯一無二の存在にしてくれた。髪飾りを見るだけで私を思い出してもらえるということは、それを持っているのはただ一人であるということだ。周りから「髪飾り=私」と認識されることで、人とは違うかっこいい大人っぽさを得ていたのである。

 しかし受験期に入る前に、お手入れが楽な方がいいと思い切って髪をショートにすることにした。決めたものの、内心はトレードマークである「ポニーテール×髪飾り」がなくなってしまったら、みんな私を認知してくれないのではないかと不安を抱いていた。実際髪を切って学校に行ってみると、周りは「ポニーテールも好きだったけど今のもとても似合ってる」と髪形を褒めてくれ、トレードマークがなくなっても私を知ってくれる友人や後輩の数は何も変わらなかった。

 

 髪飾りが大人っぽさを得るためのアイテムだったが、いつからかそれ自体が私になってしまっていたように思う。「私を表現するモノ」から「私を確立させるモノ」に変わり、無意識下でモノが私を形作っていることに不安を抱いてしまっていたのだろう。しかし髪を切ったことで、そんなトレードマークがなくとも皆は認知してくれることが分かり、モノを頼らずにアイデンティティを持てることに気がついた。今ではモノが私を作るのではなく、 私が私を作っていると思える。

 

 とはいえ、この人とは違うことが大人っぽいという考えは、今でも私の中に残っているように思う。ふと一人でご飯を食べに行ったり出かけたりすることがあるが、これも元をたどれば「いつも誰かといる女の子っぽくない、人と違う」ということがあるかもしれない。皆さんも綺麗な女性がふらっと焼肉屋に一人で入る所を見ると、かっこいいと感じるのではないだろうか。

 

 皆さんの、自分を唯一無二にしてくれるものは何だろうか。私にとってこの髪飾りにまつわる経験が宝物になっているように、きっと大切なモノになっているだろう。

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