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板タブレット

 絵を描き始めたのは一年前のことだった。衝動で板タブレットを買い、勉強をなくして、計画を建てずにいきなりオリジナルイラストの創作を始めようとした。むろん、なんの基礎ない私は人に見せる作品を完成させることが不可能だった。しかし、当時は妙な自信を持っており、絵を友人に見せても、その微妙なリアクションを無視して、自分が思うように素晴らしい作品を描き続けた。ときには、うまく行かないと思うことはあるが、それは使っている板タブレットのせいにした。板タブレットは、紙で描いているような摩擦ほど強くなかったし、筆も私が使い慣れたボールペンよりやや軽めだった。パソコンで書いているため、ときに線の太さも思い通りにコントロールできなかった。 このように系統を立てずに、自己満足のためにいくら描いていても上達できないと、4 ヶ月後になって、私がようやく認識した。完成度が高いイラストを描くために、まず基本

パソコンやスマホに接続して、デジタルイラストを描くためのアイテム。ペンをタブレットで走らせるが、タブレット上 に線が表示されない。キーボードの手書きバージョンの感じ。

板タブ

中の基本、線を練習しなければいけない。なので、私は一からやり直し、直線、曲線、 長線、単線を練習し始めた。
 今思えば、その時はただの基本技法を練習していたわけではなかったかもしれない。 なぜなら、線一本を上手くかけるために、ディスプレイと板タブレットの両方に集中する必要があるからだ。つまり、結果として線の形だけではなく、描く過程の中で自分の手がどのように発力しているのか、水平的に動いているのかなどのことも全部意識しなければいけない。手のことを意識すると、当然、筆が立てた摩擦音も意識の範囲内に入ってくる。線を練習するのも面白みのないことだ。しかし、摩擦音を聞いていると、なんとなく落ち着くような感じがする。線がぐにゃぐにゃだけど、描く過程で聞いた摩擦音が、今確実に練習している実感を与えてくれる。何より重要なのは、摩擦音によって、 絵を描く時間がスマホをいじる時間や授業を受ける時間から切り離されて、自分のための独立している時空が成立したことだと思う。絵を描く経験を通して、摩擦音は一つのトリガーとなり、心を静める媒介となった。集中したいときは大抵摩擦音のASMRを聞いている。
 集中力と落ち着いた心を獲得したことは一見、人間形成とかけ離れているように見えるかもしれないが、それは自分の生活の中にある些細なことを感じたり、反省したりするための土台となるもので、娯楽が断片化されていく現代社会において、私達が自分のために集中力を使うことがとても大事だと思っている。お絵かきに限らず、ヨガ、瞑想や書道などのような、長時間かけて一心不乱に自分の体に集中することには、共通している部分があるかもしれないだろう。

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